「心の時代」の
人間学講座
石川光男/船井幸雄/草柳大蔵 アス出版 

 「心」の世界にも通用する「もの」の世界の原理

 私は学生時代に教会に通ううちに、「聖書が教えているように生きられない」自分が分かって、非常に悩みました。「汝、怒るなかれ、人を愛せ」と教えられても、やはり怒ってしまいますし、なかなか本気で人を愛せないわけです。
 卒業後、現在の大学に就職して何年かたったあとで、中村天風先生の講習会に行ったのですが、ここで私の人生観を変えるような多くのことを学びました。

 天風先生をご存知ない方も多いと思いますので、少し先生のプロフィールをご紹介しておきましょう。
 先生は東京帝大を出られた医学博士だったのですが、結核にかかり、ご自分でも余命いくばくもないことを知っておられました。そこで先生は、どうせ死ぬのなら。世界を見ておこうと思い、世界旅行に出かけたのです。そして、帰りみちに立ち寄ったエジプトのカイロでヨガの行者に出会い、そのままインドの山奥で3年間修業して、一種の超能力を身につけて帰国し、東京に天風会と呼ばれる団体を作って、人々の指導をされるようになりました。現在の日本の実業界でリーダーシップをとって活躍している人の中には、天風先生の指導を受けた人が非常に多いのです。
 先生はいつもニコニコされていて、怒っているのを見た人はいません。先生は非常に人間ができているので腹など立てないのだ、とみんな思っていたのです。ところが講演の中で先生はこう言われました。
「人間というのは、不可能な事を可能と思い、可能な事を不可能と思う悪いクセがある。ひとつのいい例が、よく宗教家が“腹を立ててはいけない”と言うが、人間には腹を立てないという機能は備わっていない。腹を立てることを抑えることはできないのだから、お止めなさい」
 と言われたのです。私はその時、本当にうれしかったですね。今でも忘れません。「ああ、腹を立ててもいいのだ」と思うと。とても気が楽になったのです。ところが、その先が大切なのです。
「人間は腹を立てないということはできないが、“忘れる”という機能を持っている。だから、おもしろくない事、腹が立つ事があったら、なるべく早く忘れる練習をしなさい。
 1カ月間、マイナスの感情を溜める体質の人は、まず25日で忘れるように練習をする。それができたら20日に減らし、やがて、1週間、3日、1日とだんだん減らしていくことは可能です。それが修業というものです。慣れてくると、腹を立てても次の瞬間には忘れることができるようになるものです。自分はいつもそうしているから、あなた方には、腹を立てないように見えるのです。
 ところが、凡人はマイナスの感情を身体の中に溜め込んで、いつまでもクヨクヨと思い悩み、何度も思い出して牛のように反芻している。それは、まったく愚かなことなのです」
 という主旨のお話でした。感動しましたね。言われてしまえばコロンブスの卵ですが、生命の核心に触れた人でなければ、なかなか言えることではありません。この時の感動は、私の生き方を大きく左右するほどの影響を与えました。
 天風先生の言われたことは、今から考えると、見事にオープン・システムの原理にかなっているのです。感情という情報においても、プラスの情報を充分に入れ、マイナスの情報をできるだけ早く出すことが、生命の潜在能力を引き出すために極めて重要な意味を持っていることになります。
 これは「もの」の世界で、身体のためになる酸素や養分を充分に取り入れ、老廃物をできるだけ早く出すことと、まったく同じことです。「もの」の世界にも「心」の世界にも、まったく同じ原理が通用するというのが私の考えです。
 だからこそ、自然という「もの」の世界から、生き方に関する多くの教訓を学びとることができるのです。
 現代社会では、学問も教育も分業体制ですから、科学や理科と結びつけて人間の生き方を考えるという発想がありません。私達の頭の中にはバラバラの知識が詰まっているだけです。学問も教育も知識も、そして私達の日常的なものの考え方までも、閉鎖系モデル的な発想に慣らされているのです。
 
← [BACK]          [NEXT]→
 [TOP]