歴史から消された 日本人の美徳 |
黄文雄・著 青春出版社 2004年刊 |
「働き過ぎ」さえ美徳になった現実 日本人はよく働くというのが、世界中から聞こえる定評である。台湾をはじめ東南アジアでも、夜遅くまでライトのついているビルは、日本企業の入っているビルである。そこまで働く日本人であったからこそ、戦後の日本を経済大国へ押し上げることになったのだ。 「エコノミック・アニマル」といわれたのも、「ウサギ小屋に住む仕事中毒者」とまで嫌味をいわれたのも、実によく働く民族であると見られたからである。 欧米の勤労者は、定年になると仕事から解放され、余暇を楽しむが、日本では定年後も余暇を楽しむことを好まず、むしろ働きつづけることを望み再就職したりする。 ではなぜ日本人がこうも働くのか。経済専門家や、労働問題の専門家の間でもよく取り上げられる問題である。過重労働や過労死、サービス残業などが労使間の争点になったりする。 勤勉と褒められたいから働くのだ、いや貧しいからだ、などとその理由はさまざまあるといわれる。働けば働くほど貧しくなるといった話もある。また、植民地化の危機を自力で乗り切ろうとする明治の指導者の努力や、義務教育制度の確立が勤勉さを生んだとする議論まである。 歴史的に見れば、そもそも稲作民族は、勤勉なのだという説もある。種をまけばあまり手間をかけることなく収穫できる麦作に比べ、種まき、田植え、引き水、除草など、手間のかかる作業を強いられる。とくに日本列島の不安定な気候風土での稲作は、手を抜いては収穫がおぼつかない。その結果、日本人は勤勉になったといわれる。 日本人は清潔にして勤勉、それに対し中国人は不潔にして怠惰と両国の国民性の相異を痛烈に自己批判をしたのは、蒋介石である。蒋は北伐成功後、すぐに南京政府を作り、「新生活運動」を推進した。日本に学ぶ運動である。 蒋にいわせれば中国の民族性は「汚穢」「散漫」「懶惰(らんだ)」「頽唐(たいとう)」、だから「日本精神」に学び、旧来の陋習を打破するために、「新生活運動」を推進しなければならなかったのだ。 かつて古代日本には森の民、田の民、さらに海の民が存在した。戦後の一時期、日本人騎馬民族起源説、渡来説、征服説が唱えられたこともあるが、現在は、騎馬民族説はあまり大きな支持を得てはいないようだ。 ともあれ古代日本国家が成立したころは、ほとんどが農民で稲作民族であった。江戸期に限っていえば、人口の八割以上が農民である。天皇による稲作の儀式が、今もつづいており、皇居内には水田がある。日本人は基本的には農耕民族である。 だが、西洋と日本では、勤労の考え方がまるで逆である。『旧約聖書』には、エデンの園で安楽に楽しく暮らしているアダムとイブの話が出てくる。二人は蛇に誘惑されて善と悪を知る木の実を食べて、その罰で楽園から追放され、地上で辛い労働をしなければならなくなる。 古代ギリシヤ神話でも、労働はプロメテウスが神々を騙した罪に対して、神々の王ゼウスが忌まわしい罰として与えたものだ。 つまり、ヘブライズムもヘレニズムも、農耕や労働は、神に与えられた刑罰という概念となっている。 しかし日本では、神々自身が農耕をしている。『日本書紀』の神話では、食物の神である保食神(うけもちのかみ)という神様のことが出てくる。 あるときアマテラスの弟の月神ツクヨミが、姉の大御神に命じられて、地上にいた食物の神ウケモチを訪問した。するとウケモチは、自分の口からご飯や魚や鳥や獣の肉を吐き出し、ツクヨミに御馳走しようとしたので、それを見ていて汚いものを食べさせられると思って激怒したツクヨミは、剣でウケモチを斬り殺してしまった。そして高天原に帰って事の顛末をありのままに報告した。ところが、アマテラスはその乱暴に立腹し、もうツクヨミとは顔を合わせぬことにすると宣言した。それでこのときから、太陽と月とが、昼と夜の空に別れて出るようになったのだという話である。 このウケモチの神の死体から、さまざま食物が生まれた。頭からは牛や馬、額からはアワ、眉の上からはカイコ、眼のなかからはヒエ、腹のなかからイネ、陰部から大豆や小豆という具合だ。このウケモチノカミから出た五穀を人間の食料とするように命じたのが天照大神だ。 人間が農業をするようになる以前に、まず神々が食物を生み出していたのである。 この話は、農耕という労働が、神から与えられた苦行ではなく、むしろ天上の神々が率先して農業にいそしんで、その恵みを人間に与え、人間と苦楽をともにすることが、労働だととらえられていることを意味する。人間が神様の力を借りて、なすのが労働なのである。 今でも農村では、正月に田の神様をお迎えして、秋の収穫が終わると田の神様を、天上や山々に丁重に送るという儀式が残っている。また、一年間の農作業に神様が手を貸してくれたことに対して、感謝を込めてお礼をする。 したがって、勤労を懲罰とし、バカンスを労働からの解放とする西洋の意識とは、かなり異なっている。労働は聖事であり、神々とともに働き、苦楽をともにすることが、神話時代以来の日本の伝統的美徳となっているのだ。 (中略) これら農耕に関する神様だけでなく、市の神など、商売を司る神様まで、日本の神々にはさまざまな分野での任務があり、とにかくよく働いているのである。 孔子は人間を、頭を使う「君子」と力を使う「小人」とに分ける。中国人は誰でも「君子」を理想とし、働くのを忌み嫌って、享楽が好きだ。その理想像が仙人である。 中国人が仙人に憧れるのは、仙人の生活が働かずに遊びながら悠々自適な生活であるからだ。働くことは「苦工」といい、苦しいこととしてとらえられている。儒教国家の人間は、働くことを「小人」の賤業と見なしている。韓国人もそうである。だから夢の仙人生活は「享楽」の極致として描かれ、雲遊四海、つまり雲に乗って天下をあまねく遊び、天庭にたくさんの美女にたわむれ、酒池肉林を楽しむのである。 |
← [BACK] [NEXT]→ |
[TOP] |