ヤオイズム
矢追純一著 三五館 

 あなたに私の謎が解けるか

 どうしたら、そうなれるのか?・
 本書で、私は全身全霊を込めて、その問いに答えている。私そのものが答えなのだ。私の生き様の中から、すべての恐れを消す具体的な方法を見つけていただけると信じている。本書でいう「ヤオイズム」とは、そのことである。
 ただし、油断をしてはいけない。本書の内容は決して難しいものではないが、軽く読み飛ばしてしまうと、その答えを見失ってしまうかもしれない。
 この本はノンフィクションで、小説ではないが、一種の推理小説、つまり謎解きをテーマにした本だと思って読んでいただきたい。
「私の中からどうして、あらゆる恐れが消えてしまったのか」
 あなたが探すのは、実際に私の人生で起きた、この謎の答えなのだ。
 その答えが本書のどこかに書いてある。その答えをあなたが見つけることができたら、あなたの中からもすべての恐れが消えていくことだろう。
 本書は言葉でつづってあるが理屈ではない。すべての恐怖が消えた世界が、いかに素晴らしいかを体験してもらいたいだけなのだ。私の人生は一瞬一瞬が喜びで、感動で、ワクワク感なのである。しかも、その一瞬の中に秘められているパワーに気づけば、私に起こったことがあなたにも起きると言いたいのだ。
 その答えさえ見つけてしまえば、あとは簡単。あなたはあなたの流れにただ身を任せれば、すべてはうまくいく。努力をしたり、我慢をしたり、自己を犠牲にするのは逆効果だ。
 何もしなくていい! 本当に何もしなくていいのだ!
 長い回、秘密にしていたが、じつはこの縦穴を降下する際、私は死の危険に見舞われた。私は崖を下りるときに撮影用の8ミリカメラとテープレコーダーを、それぞれヒモで首からぶら下げていた。そのうちのテープレコーダーの丈夫なヒモが途中で木の枝に引っかかり、降下する私の首をグッと締めつけてきたのだ。左手はロープ、右手はカメラを握っているので、手を離すことができない。そのまま下りていったら、さらに強く締めつけられ、首つり状態になってしまう。
 かといって、登ることもできない。首が強く締めつけられて、息もできず、動こうにも動けないのだ。そのとき、もし抵抗してもがいていたら、私はきっと命を失っていただろう。私は何もしなかった。そのままロープを握っている手を緩めて、自分の体重でそのまま静かに崖を下りていった。力を抜いて、すべてを流れに任せることにしたのだ。
 常識的に考えたら、一種の自殺行為かもしれない。しかし、不思議なことが起きた。ヒモが強く首を締めつけてくるかと思ったら、逆に急に緩んで首が自由になったのだ。丈夫で簡単には切れそうにないヒモが、なぜか切れてしまったのだ。しかも、テープレコーダーは下に落ちていかず、もう一つのカメラのヒモに挟まって、破損しないですんだのだった。
 私はこれまでの人生で何度も死にかけた経験があるが、そのたびに力を抜いて、すべてを流れに任せて生きてきた。すると、なぜか物事はうまく進み、私は窮地から逃れることができた。
 なぜ、そんな幸運を手にすることができるのか。言うまでもなく、私は何も怖くないからだ。
 だからといって、誤解をしてはいけない。私は怖いもの知らずの無鉄砲な人間ではない。強い人間でもない。このあと述べるが、生まれつき怖がりで、虚弱な人間である。自分ほどの怖がりは他にはいないと思っていた。その私がある日を境にして、まったく違う人間に変わってしまった。すべての恐れが消えてしまったのだ。
 たぶん、あなたは私のことを知っていると思っているだろう。それはおそらく錯覚である。何度もテレビで私のことを見て、知った気になっているだけなのだ。素顔の私をあなたは知らない。本書で、あなたは本当の矢追純一に出会うことになる。そのときのあなたの驚いた顔が見えるようだ。
 
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