ヤオイズム
矢追純一著 三五館 

 崩壊は突然に始まる

 まず、父が突然他界した。私か9歳になったとき、父は発疹チフスで急死したのだ。日本から父の見舞いにきた叔父が、日本に帰国したと同時に父の死亡通知を受け取ったという。本当にあっというまに死んでしまったようだ。すでに記したように、このときの父の葬儀は準国葬級の大変に立派な葬儀だったらしいが、私は列席した記憶がない。
 ただし、父の死後も私の性格や生き方が変わることはなかった。あいかわらず、引きこもりのままだった。母も妹たちも同じ生活をそのまま満州で続けた。父が亡くなったとはいえ、父の名声や財産は残っていたし、なんといっても父の作った豪邸があった。たくさんの使用人たちもそこにはいた。おそらく母親の派手な遊びも続いていたのではないかと思う。
 もちろん、帰国という選択もあった。だが、母は豊かな暮らしを捨ててまで、すぐに日本へ帰ろうとは思わなかったのだろう。日本は英米を中心とした連合国との戦争に突入していて、すでに危うい状況になってはいたが、なんといっても満州国は大きな国である。その巨大な国が一晩で消えてしまうとはだれも想像したことがなかったのだ。それにもかかわらず、現実にその日を迎えてしまった。
 1945年8月15日。ラジオの前に大勢の人たちが集まっていた。ラジオから聞こえてくる声はキンキンとしていて、何を言っているのかよくわからない。しかし、それを聴く人たちはみな泣いていた。日本は連合国との戦争に負けたのだ。天皇陛下の終戦の宣言だった。いわゆる「玉音放送」である。父が死んだ翌年の、私か10歳になって間もないころのことだった。
 ラジオ放送があった翌朝、私たちが目覚めると、枕元には中国人の使用人たちがズラリと並んでいた。
「満州国はもうない。ここはわれわれの国だ。すぐにここから出て行け!」
 昨日までニコニコと私たちに接していた使用人たちが、厳しい目つきと言葉でそう言った。私たち家族は、父の建てた家から追い出されたのである。
 
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