ヤオイズム
矢追純一著 三五館 

 獣のオリに投げ込まれたウサギ

 突然、すべてが逆転し、情け容赦のない荒々しさがやってきた。
 気がつけば、夫を失ったばかりのまだ若い主婦が、幼い2人の娘と引きこもりの意気地のない少年を抱えて、憎しみと暴力が渦巻く中国の街角に放り出されたのだ。獰猛な獣のオリの中に投げ込まれたウサギたちのように。
 私たち家族が家から追い出された日、すべての常識が吹き飛んだ。殺人は当たり前で、強盗、強姦、強奪、なんでもありのメチャクチャな日常が目の前で展開されることになった。
 満州国が崩壊して真っ先に入ってきたのは、恐ろしい面構えと獰猛な体躯をした怪物たちだった。その群れの一つは、星条旗を掲げたアメリカの海兵隊員たち。彼らは戦地へ真っ先に送られる部隊である。つねに死の危険と隣り合わせている彼らは、命知らずの荒くれ男たちの集まりだった。そうした恐ろしい男たちがいきなり入ってきて、日本軍の残党を捜して、街で暴れはじめたのだ。
 そこへさらに輪をかけたような恐ろしい怪物たちが入ってきた。ソ連の最前線の兵隊たちだ。日本の敗戦が濃厚になると、ソ連軍は日ソ不可侵条約を破って、怒濤のように満州になだれ込んできた。彼らの残虐さは空前絶後だ。女を見つけるとただちに強姦し、逆らう者は殺された。あとで知ったが、ソ連軍の最前線の兵はほとんどがシベリア送りにされた重犯罪人ばかりだった。いつ死刑になるかわからない身の上の彼らは、ソ連軍の最前線部隊の「弾よけ」で、殺人も自らの死をもいとわない男たちだった。みな坊主頭で、入れ墨だらけ。カーキ色の丈の長いオーバーを着て、肩から恐ろしい自動小銃をさげていた。獲物を捜しながら、彼らも突然私たちの街に侵入してきた。
 そこには、もちろん中国人たちもいた。彼らは昨日まで私たち日本人といっしょに生活していた人々だ。見た目はそれほど恐ろしくはない。しかし、長年大日本帝国に搾取されてきた恨みは強烈で、じつはいちばん手強く、いちばん恐ろしい存在だった。
 すでに中国人の間には日本人への不満が鬱積していた。中国の一般の人たちは貧しく、粗末な環境で暮らしていた。そこへ日本人たちが勝手に移り住んできて、いい生活をしていたのだから、彼らの憎しみがいつ爆発してもおかしくはなかった。
 暴力と増悪と嫉妬が混ざり合い、溶け合い、化学反応を起こし、とんでもない地獄を形成した。日本人だとわかると、持っているものは全部奪われた。女は犯された。殺されるのも当たり前。命だけでも残されたら運がいいと思わなければならなかった。
 街中のいたるところで人が殺された。殺人が日常茶飯事になってしまった。一瞬一瞬が、生きるか死ぬかの選択の連続となった。
 国がなくなってしまうとはこういうことだ。警察もなければ、法律もない。いくら悪いことをしてもだれも裁かれることはない。もうメチャクチャである。本来なら敵対関係にないはずのアメリカ兵とソ連兵同士でさえ、ささいなきっかけで殺し合うのだ。あるとき、酔っぱらったソ連兵がマンホールに落ちて騒いでいた。それを見つけたアメリカ兵が「うるせえ野郎だ」と言って、マンホールの上からピストルで撃ち殺してしまうのを目撃したことがある。
 酒を飲んで酔っぱらったアメリカ兵が歩いてくる。その向こうからソ連兵がウオッカを飲みながらやはり酔って歩いてくる。彼らが歩いているのは、普通の街中の通りだ。一般の人たちも歩いている。ところが、アメリカ兵とソ連兵の目が合った瞬間、どちらからともなく、「あの野郎!」「ヤッちまえ!」となって、「パンパン」と銃の撃ち合いが始まる。
 それを多くの人が「オオッ!」と見ていると、その中の何人かがガクッと道端に倒れていく。流れ弾に当たって死んでいるのだ。
 家の中でも気を抜くことはできない。油断をしていると、食事中でも流れ弾が入ってきて、死ぬことがあった。そこで窓にはすべてミカン箱の板が打ちつけられ、日中でも室内が薄暗かった。
 振り返ってみると、新京のわが家を追い出された日、私は10歳になったばかりだった。妹たちは6歳と4歳で、引きこもりの私から見ても無力で痛々しかった。この無法の街で、私たちはこれからどうなってしまうのか。
 私は今思い出しても不思議でならない。そのとき、母がいきなり豹変したのだ。その変貌はあまりにも鮮やかで、信じがたいものだった。
 昨日まで有閑マダムにすぎなかった母が、猛然と私たちに生き抜くことを迫ったのだ
 
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