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観察した瞬間に現れる素粒子 じつは、物理学の世界では、私たちの物質世界が幻影にすぎないことはよく知られている。あなたもそれについて、一度は考えたことがあるはずだ。 中学校の理科や高校の物理学の授業でも習ったように、私たちの体をはじめ、あらゆる物質はすべて原子からできている。その原子は原子核と電子からできていて、原子核のまわりを電子が回っている。 問題はその構造だ。原子核一個と電子一個で構成されている水素原子でみてみよう。 仮に原子核をバレーボールくらいの大きさと仮定したら、電子はパチンコ玉くらいの大きさになる。バレーボールのまわりをパチンコ玉が回っているわけだが、その場合、原子核と電子がどれだけ離れて回っているかというと、なんと東京1小田原間の距離に等しいのだ。その間には何もない。物質とは、そんなすき間だらけの集まりなのだ。 これは具体的にはどういうことかというと、私たちが硬い物質として見ているものは、じつはモヤモヤした霧のような得体の知れないものだということだ。 それだけではない。今では原子核はもっと小さな素粒子からできていることがわかっている。しかも、その素粒子は無から生じるかのように「何もない空間から突然現れ」、そして「突然、何もない空間へと消えていってしまう」のだ。ご存じのように、これが量子力学である。 ここで大切になるのは、素粒子がどんなときに姿を現すかということだ。じつは私たちが観察した瞬間に現れる。私たちが見ていないときは、ないのだ。 すべての素粒子は波の性質を持っている。波は物質ではない。どこまでも広がっていくもので、どこか1カ所に限定されていない。ところが、私たちが観察すると瞬時に粒子、つまり物質になるのだ。 いまや、こんなことはあなたが調べようと思えばいくらでも情報を得ることができる。「量子論」とか「量子力学」というワードでネット検索すれば、いくらでも出てくるはずだ。そんなことはすでに知っているという人もたくさんいるだろう。しかし、わかっていても実感が湧かないというのが正直な気持ちかもしれない。あなたのまわりは相変わらず人やものであふれていて、あなたはそれらの影響を受けずにはいられないからだ。 それもしかたがないことだろう。前にも説明したように、もともと世界は見えるように存在するわけではないのだ。あなたは過去にインプットされた情報から見ているだけだ。どう考えても、あなたは妄想を見ているのだ。 |
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