ヤオイズム
矢追純一著 三五館 

 「死」を楽しむ余裕

 言うまでもなく、妄想は現実ではない。実体のない幻想である。そもそも、どうしてそんなものを怖がる必要があるのだろうか。恐れがなければ、妄想はあなたにとって都合の良いものになっていくだけなのだ。
 としたら、何が起きても怖くないはずだ。たとえ、死ぬような目にあったとしても。
 母と妹たちと母子寮に暮らしていたときのことだ。当時、寮の近くにキリスト教の教会があり、そこの先生が近所の子どもたちにお菓子をくれるので、ときどき中学の仲間といっしょに遊びに行っていた。その教会の先生が「明日の日曜日に多摩川に遊びに行こう」と私たち中学生を誘った。教会の先生はまだ若く、20代の青年だったと思う。
 当日、私たちは多摩川に集合した。ところが、前夜の大雨で川が増水し、流れが速くなっていた。とても川で遊べるような雰囲気ではなかった。
 川は激流となっている。どこを見回しても川の中に入って遊んでいる人はいなかった。
 目の前の川の真ん中に小さな岩山が突き出た所があり、その上で子どもたちが騒いでいるのが見えた。
 「ぼくたちも泳いであそこまで行こう!」
 そう言うと、先生は川に入っていった。あとで考えると、岩山にいた子どもたちはそこに泳いで行ったのではなく、上流から流れてきて、たどり着いたのだった。
 教会の先生が川に入っていったので、私たちも素直にそのあとをついていった。今考えると、分別のある大人がなんでそんなことをしたのか、まったく理解できない。魔が差したとしか思えない。案の定、川に入ったとたんに先生も私たちも次々に流された。
 私は必死に泳いで岩山をめざしたが、濁流が渦巻く川の中ではどうすることもできず、どんどん流されていった。そのうち、泳ぐ力もなくなってしまった。
「もうこのまま死ぬしかないか」。そう思った。全身から力が抜けて、川の流れに身を任せた。もう抵抗してもしょうがない、と思ったのだ。
「人は死ぬときは死ぬ。当たり前のことだ」
 近くでは、先生があっぷあっぷと濁流の中でもがいていた。私は無抵抗のまま、そのわきを流されていった。流されながら思った。せっかくの機会だから、自分が死ぬときの光景や、死ぬときの有様を一部始終しっかりと見ておこうと。
 それまで私はたくさんの人たちが死ぬのを見てきたが、自分自身の死は経験していない。もしかしたら、これは絶好の機会かもしれない。そう思うと、ワクワクと楽しんでいる自分がいたのだ。
 全身の力を抜いて任せ切っているので、私はスルスルと流されていった。岸辺では子どもたちが大声で遊びに夢中になっている。小鳥が鳴きながら上空を飛んでいった。私の視界の景色もどんどんと流れていく。そのうち、足がザラザラとした土に触れた。立ち上がってみると、私は川の中ほどにできた砂州に流れ着いていた。
 見ると、もう一人、いっしょに川に入った友達が近くに流れ着いていた。その子は疲れ果て、息も絶え絶えになってうずくまっていた。私はその友達を引きずって川を渡り、岸に上がった。川の対岸に着いてしまったので、橋をわたって引き返すことにした。
 途中、遠くに人だかりができているのが見えた。橋を下りて、行ってみると、そこに先生が青い顔をして横たわっていた。もう息はなかった。発見した人が川から引きずり上げて、人工呼吸をしたが、まにあわなかったという。
 その夜、友達といっしょに先生のお通夜に行った。すると、先生の親戚たちがみなで私たちをにらんでいる。川に入って流された生徒たちを助けようとして、先生が流されてしまった、という美談になっていたのだ。私たちは「すみません」と頭を下げて、家に戻った。
 じつは、30代にも心筋梗塞で死にかけた経験がある。日本テレビの制作室で仕事をしていたとき、突然ものすごい激痛で胸が締めつけられ、身動きもできなかった。あとで考えると、軽い心筋梗塞だったのだろう。でも、心は冷静だった。こんなとき、いつも真っ先に思うのは「死ぬときはどうなっていくのだろうか」ということだ。私に恐れはなかった。それよりもこれからどのような展開になるのか……。死ぬとしたら、そのときにはどんなことが起こるのか……。しっかりと見ておこうという思いでいっぱいだった。
 つまり、死すら楽しんでしまう余裕があると、なぜかいつも事なきを得てしまうのだ。
 
← [BACK]          [NEXT]→
 [TOP]