ヤオイズム
矢追純一著 三五館 

 あなたは自信があるか?

 あなたは自信がおありだろうか。
 いや、仕事の腕とか、音楽やスポーツの才能とか、器量の良し悪しとかではない。
 あなたという人間自体に自信があるかどうかの問題なのだ。自信とは自分を信じると書く。つまり、自信とは自分を信じることなのだ。もしあまり自信がない、というなら、「自分を信じられないような人間をだれが信じるか」という深刻な問題にぶつかる。
 逆に自分を信じられる人、つまり、自信のある人はモテ人間になるだろう。
 自分を信じられない人は、他人に頼るしかない。だからなんでも他人に聞いてしまう。私は間違っていないか……私はこれでいいのか……みんなはどう思っているのか……などなど。
 人の眼が気になってしょうがない。自分に主体があるのではなく、主体が他人になってしまっている。すでにお気づきのように、これでは自分がなくなってしまう。いったい、自分というのは何なのか、ますますわからなくなってくる。
 ほとんどの人がこうした自己喪失の状態にあるのではないだろうか。だから、何一つ自分で決められない。迷いに迷って最後は他人に聞くハメになる。どうしてそうなってしまったのか……といえば、多くの人が生まれてこのかた、自分というものと真剣に向き合ったことが一度もないからだ。
 考えてみれば無謀なことだ。「どういう仕事をしているか」とか、「何を得意とするか」などと考える前に、だれもが自分という人間をやっているはずだ。つまり、自分という人間を運営している。しかもそれは、あなたが死ぬまで続くのだ。
 あなたの本分は、自分を、死ぬまできちんと健康で元気に運営していくことなのだ。
 にもかかわらず、多くの人がこの当たり前のことに気づいていない。あるいは故意に目
をそらして意識を向けないようにしている。
 あなたという運営主体の本当の実体がわからなかったら、何一つ決められず、何をどうしていいやら、見当がつかない。だから、他人に聞くしかないのだ。そして、もしうまくいかなかったら他人のせいにする。あるいは環境のせい、世の中のせい、世界経済のせい……なんでも自分以外のものに責任を押しつける。でも、いま論じているのはあなた自身のことだ。あなたのこれからの人生にあなたが責任を取らなかったら、だれがその責任を背負えるのか。言うまでもなくあなた自身しかいない。
 自分の人生に、自分が責任を持つ。これが自分が生きていくうえでの当然の覚悟なのだ。その覚悟がないから、方向性がわからず、どっちへ行っていいのかわからず悩む。何をやるにも自信が持てない。覚悟ができていないから、他人のせいにしようといつも逃げを打っている。それでは自信が持てるわけがない。
 
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