ヤオイズム
矢追純一著 三五館 

 私に起こったことがあなたにも起こる

 生きるか死ぬかのときに、あなたはどうするか。
 もちろん、逃げ道があれば、逃げるだろう。しかし、その逃げ道すらないとしたら、どうするだろうか。覚悟をするしかあるまい。
 生きるか死ぬかを決めるのだ。
 ここで、大切なことは何か。選んだ結果ではない。何を選んでもいい。大切なことは、選ぶことそのもの。自分で選ぶことだ。それが覚悟だ。妄想に支配されていると、自分で人生を選んでいるようでいて選んではいない。そこには覚悟がないのだ。
 強い覚悟が持てれば、妄想から目覚めることができる。真実が見えてくる。自分を知ることができる。そうなれば、あなたが好きなように生きることができる。好きな選択ができる。いやでもあなたの人生は素晴らしくなってしまう。そうなったときに、初めて自然流で生きることができるのである。
 覚悟ができなければ、どこへ行ったらいいかもわからない。人のあとをついていくだけだ。右へ行けと言われれば右へ。左へ行けと言われれば左へ。これを付和雷同という。そういう人は、何かいやなことがあると、すぐに他人のせいにしたり、社会のせいにする。覚悟がないからだ。覚悟とは、「目覚めて悟る」と書く。文字どおり、今の自分に目覚めることによって悟ることなのだ。
 覚悟をした人、つまり目覚めている人は、根源的なエネルギー(宇宙のエネルギーと直結するから、その流れに乗っていくことができる。いわばカンの良いサーファーのようなものだ。良い波を見つけたら(覚悟をしたら)、あとはその波に逆らうことなく、それに乗っていく。これが自然流だ。それは理屈ではない。
 だから、あなたもここで目覚めることをお勧めする。私が10歳のときに目覚めたように。そうすれば良い波に乗ることができる。
 それは、何がなんでも自分で生きるという強い覚悟だ。天変地変ですべてが破壊されようが、戦争ですべてが灰燼に帰そうが、自分で自分を生かすという強い決意をするのだ。
 私の母は、猛然と私にこれを迫った。そのとき、私は何も知らない子どもだったが、年齢は関係ない。人間は人間である。若くても年を取っていても、今それをすべきなのだ。
 自分の人生なのだから、自分でどのように生きていくかを決める。そして、自分の人生に責任を持つ。それが自信というものだ。そこを避けると、他人や社会のせいにしようとして、人が自分をどう見るかだけが気になる。結果、自分を見失ってしまう。
 とはいえ、「自分のような意気地なしには絶対に無理だ」。そう思う人も多いだろう。
 安心していただきたい。ここまでこの本を読んでいただいたあなたのために、ここでさらなる奥の手を紹介しよう。じつは、この本を読んでいるあなたは、私を介してすでに宇宙のエネルギーにつながっているのだ。なぜなら、目覚めている私は宇宙のエネルギーとつながっている。そして、私のこの本を読んでいるあなたもそのエネルギーの影響を受けないわけにはいかないのだ。
 大工、刀鍛冶などの技能、また武道、舞踊、落語などの芸事の世界で、師匠と呼ばれた人たちは弟子たちに手取り足取り、自分の技をていねいに教えることはなかった。なぜなら、師匠が持っている技能は、口で説明してもわかるものではないからだ。
 それではどうしたか。弟子たちは師匠のそばで何年も生活をともにして、師匠の世話をしながら、その技術を「盗む」のだ。
 これはある意味とても大変な「修行」のように思えるが、じつはとても「楽な行為」でもある。なぜなら、優れた師匠につけば、その師匠が持つエネルギーが自然に弟子にも伝わっていくからだ。じつは、盗んでいるのではなく、「感染」しているのだ。「一子相伝」というのも、これである。
 私が10歳のときに起きたのも、これだと思う。私は私の母から自分の根源につながるエネルギーを受け継いだのだ。
 今、あなたがこの本を読んでいるということは、あなたも根源的なエネルギーにつながるタイミングにきている。それを受け入れることができれば、あなたと私の間で「一子相伝」が起きるのである。
 
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