精神病は病気ではない
精神科医が見放した患者が完治している驚異の記録
萩原玄明・著 ハート出版 
第1章 精神病と呼ばれているもの 
1.精神病と取り組んで 

 精神病から病人を救えるのは家族しかいない

 それにしても、自分で自分が全く制御不可能になってしまう精神病というのは、本当に大変な病気です。家族の人もどうぞ軽症であってほしいと願う気持からか、相当な重症であっても「たいしたことではないのですが……」と妙に過少な表現をしたがります。いよいよ精神病院へ入院させるとなると、鉄格子のイメージからか、世間体を気にして拒否反応を示したり、或いはひた隠しに隠そうとしたりします。
 こうしたご家族の姿を見ると、胸の内を察してなんともやるせない思いで一杯になってしまいます。そのため、人を救うという役目を負っていながら、つい泣き言を吐いて一切を放棄したくなってしまう時さえあります。
 しかし、これも奥深い御佛(かみ)のご配慮なのでしょうか、私の気持をはげまし、ふるい立たせるようなことがしばしば起きるのです。
 昨年の正月の4日。栃木県の或る娘さんから電話がありました。この娘さんは何年か前に母親と一緒に一度私の所へ見えたことがある人で、今、精神病で入院中なのだけれども、今日は正月で戻った自宅から電話をしているということでした。
「先生。お願いですから私が入っている病院へ来て下さい。そしてお医者さんに話して下さい。薬をのめのめとそればかりで少しも治せないんです。私の病気は、私の家の先祖の人たちを供養すれば治るんです。そのことを先生から話してやってはしいんです」
 切々とした口調です。すがるような思いで電話をして来ている様子が手にとるようにわかりました。
「父はもう亡くなりまして、私は母と二人きりでこの家に住んでいます。ですから、私が早く治りさえすれば、腰が痛いと苦しんでいる母の手助けもできます。先生、お願いします」
 私は、こういう電話を受けると胸がなんだか詰まってしまいます。だからといって、娘さんの希望通り病院へ行ってお医者さんに直接談判するというわけには常識的にまいりません。この娘さんが今の状態になっているのにはそれなりの原因があって、治すためにはとにかく母親が「供養」というものをよく理解することがどうしても必要なのです。
 そこで私は、電話でこう話しました。
「そこに。あなたのお母さんはいるの? だったらちょっと電話に出ていただきたいんだけど……そう、あなたが言うように、ご先祖の供養がとても大事だと思うので、お母さんにそのことをお話したいから……」
「駄目です」
「どうして?・」
「お母さんは電話に出てくれません」
「……」
「お母さんはこう言うんです。お前は頭がおかしくなったんだから、余計なことを言わずに病院に入っていればそれでいいんだって……」
 そんな滅茶苦茶なひどいことを言う親はあるまいと思って、お母さんを電話口に出すように何度もくりかえしていますと、やっと渋々といった感じで母親が電話に出ました。
「あ、お母さんですか。あのですね……」
 言いかける私にお構いなく、
「ええ、ええ」
 と意味のわからない返事をしてみせて、すぐにガチャリと電話を切ってしまったのです。電話の向こう側の、娘と母親の姿が私には手にとるようによく見えました。必死の娘の願いも、母親の目からすると気が狂った情けない症状の一つとしか思えないのでしょうが、母親なら娘の願いをやさしく汲み上げてやったらどうなのでしょう。可哀想にこの娘に今手を貸してやれるのは、この母親ただ一人しかいないのでしょうに。
 私は怒りがこみ上げて来て思わず「馬鹿!」と怒鳴ってしまいました。
 電話はもう切れています。私はしばらくの間、娘さんのことが可哀想でその場に座りこんでしまったほどでした。いらいらと呼吸が乱れ、そして、その夜はなんとも悲しく重苦しい気持ちのまま更けてしまいました。
 本人を救えるのは、親や家族である皆さんしかありません。それなのに、その肝心な親や家族が、病者は気が狂ったために何か変なことを口走ったり奇行を繰り返したりしているのだと嘆くことだけに明け暮れていたのでは、絶対に解決の扉は開かれて行きません。
 本人に、狂ってしまった原因は、一つもないのです。
 それなのに、本人に治癒のための努力を無理矢理させている親までいます。何かに精神を集中させればなどという思いつきで精神修行などさせているのは見当違いであるばかりか危険でさえあります。
 狂ったわが子の言動を見ながら嘆き悲しむ親――実はその親の生きざまの中にこそ、本当の核心的な原因があるのです。
 病者本人には何も原因がないのに、本人を責めていろいろ努力させようとするのは、あまりにも可哀想です。
 
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