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第2章 憑依の実際 | ||
3.東京・文京区の少女の場合 | ||
墓地にとらわれすぎると成佛できない このお祖母さんは、自分が生きている時に、自分は身体があるから人間であり、身体が終わってしまったら、それでもう何も彼もが無くなってしまうのだと思いこんでいたに違いありません。それが、死後も自分に意識があるために、まだ自分は生きている時のままなのだと錯覚してしまったのです。 死後何十年も経過したのに、成佛することなく迷っている死者は、ほとんどすべて、こうした勘違い・心得違いが原因です。 それともう一つ、岡山の葉子ちゃんの場合と全く共通しているのが、墓参りに行った時に孫の身体に憑依したという事実です。どうして墓参りに行った時にこんなことが起きてしまうのでしょう。墓参というのは、亡くなった人を偲ぶ心優しい行為のはずですのに、墓参でこんなことがしばしば起こってしまっては困ります。 この現象は、死者が自分の死を正しく認識できていないのと同様に、墓所に対する死者の生前の思いこみの誤りから来ています。死んだら暗い墓の中に入ると思っているので、死後、想いが墓へ来て留まります。このことを是非正しくご理解いただきたいのですが、魂の居るべき場所は、自由な宇宙空間みたいな所であって、墓所の地下の暗い所にしっと閉じこめられているわけではありません。そこは単に亡骸の、物質としての骨の収納場所でしかないのです。 墓参は、収納されている遺骨の前で亡き人を偲ぶための行為であって、地下の暗い所にうずくまる死者の魂との面会ではありません。ところが、墓所を亡き人が住んでいる場所と思いこんでいる人は意外に多いのです。そして、自分も死ぬとあの暗い所に入ってしまうのだと思い続けています。 そうなると、死んだのち自分の魂に自由な働きがあることにも気付かず、ただ墓所にこだわってそこに執着してしまいます。どうぞ、そんな墓所へのとらわれを持たぬよう、生きている今のうちから意識の中にこの道理をしっかりたたみこんでおいて下さい。 |
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