精神病は病気ではない
精神科医が見放した患者が完治している驚異の記録
萩原玄明・著 ハート出版 
第2章 憑依の実際
3.東京・文京区の少女の場合

 死者は生前の反省に苦しんでいる

 さて、このお祖母さん、7月12日に娘たちが墓参りに行った際に、可愛い孫のひろみちゃんに憑いてしまったのですから、今、申しましたように、やはり墓地にとらわれて墓地の辺りに意識がうろついていたのだろうと思われます。供養の際に「あなたは既に亡くなっています」といくら告げても、「そんなはずはない」と、このお祖母さんはやたらに頑張るのですが、こうした頑固さも生前の生活ぶりと深い関わりがあるのです。
 この人は結婚して6人子供を産んだのですが、すみ子さんとその下の弟さんのほかは、すべてが水子さんでした。こんなにたくさんの出産をしたというのに、ご亭主とどうして不仲になったものか、結局は離婚してしまったのでした。
 私は、このお祖母さんは何か想いが残っていればこそ孫に憑依したのですから、その想いは一体何なのだろうと考えました。そこで、ひろみちゃんの母親、つまりお祖母さんの娘であるすみ子さんに訊ねました。
「あなたたち姉弟のお父さんはどうしたんですか」
「私たちには父がいないんです」
「父がいないって、そういう言い方はいけません。父親がいない子なんてあるものですか」
「すみません。実は……」
といっても、聞き出せたことは前記の離婚ぐらいのことで、あとは何もわかりません。
 夫と別れ、子供を抱えて世の荒波に揉まれた妻は、大抵の場合、子供に夫の悪口を言って育てます。それを生きて行く支えにもします。とにかく頑張って肩肘張って生きてしまうのです。子供たちもまた先程のように、父親は自分にはいないのだと思い込むことにして成長します。自然ではありません。
 こうした不自然さを抱きかかえたままの家庭には、どうしても誰かの死によって何事かの問題が発生し易いと言うことができます。何故なら、死んだ人間は直ちに生前の反省に苦しむことになるからです。その苦しみから逃れたくて子や孫に頼り、どうか自分に代わって自分ができなかったことを果たしてほしいと訴えかけて来たり、そのほかさまざまな想いの波動を送って来ることになります。すると、それがこの世においては霊障という苦難の形に現象化するのです。
 このお祖母さんの場合も、霊視をしてみると、北海道の或る地域の風景や人物が、お祖母さんの実家を示すように出て来ましたが、本人は既に亡くなっているし、娘のすみ子さんたちではすぐに見当がつきません。
 が、それでもすみ子さんの記憶と霊視の双方に共通する人物がかすかに浮び上がって来ました。或る鍼灸師の人で、どうもお祖母さんと特別な感情での交際がかつてあったように思えるのです。お祖母さんは子供たちにも固く秘密にして、すべてを自分の心の奥にしまいこんだまま亡くなってしまったので、想いが地上に残って子や孫を困らせる結果となっています。それなのに、お祖母さん自身はそのことに全然気付いていません。
「お祖母ちゃん。一切の執着から離れて自分で帰る気にならなければ、いつまでも帰れずに苦しみも消えないよ。第一お孫さんが可哀想じゃないの。ひろみちゃんをこんな風にするのだって、あなたの本意じゃないでしょう」
 私はいつものように供養を続けました。簡単に帰ってもらえると思ったのが大誤算で、「そんなものじゃないぞ」という私の後においで御佛の教えなのか、しばらくの間悪戦苦闘することになりました。
 が、そのことで、死者が成佛するための心の要件というものを学ばせていただき、憑依の解消すなわち精神病の完治には、何が必須であるかがよくわかりました。
 
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