精神病は病気ではない
精神科医が見放した患者が完治している驚異の記録
萩原玄明・著 ハート出版 
第4章 自分の「死」に気がついていない
1.彷徨する無自覚の意識

 なぜ死者が憑依してくるのか

 もう立派な大人なのに人形や玩具を身辺から離そうとしない。コインや、時には腕時計などまで口へ持って行って食べようとする――こうしたタイプの奇行は、幼児のまま死者となってしまった意識体すなわち魂が、憑依した生者の肉体を動かして示している姿です。
 従って、奇行を死者の一つの「表現」と見れば、その死者が肉体を失った、つまり、亡くなった時の年令や状況を窺い知る上での大切な手掛かりともなります。
 酒乱という症状もまた、これと類似した現象で、普段は大人しい人なのに、酒が入ると全く別人に変わってしまうのは、酒乱だった死者が今生きて生活している人間の飲酒行為を導火線として酒乱の姿を演じて見せるものであるということができましょう。
 こうした事例の数々を克明に見つめて行きますと、それこそ無限の幅の態様があり、それぞれに死者自らの想いが託されていることがよくわかります。
 これらの行動を、通常の社会生活の中では狂ってしまったための悲しい奇行、すなわち精神障害による諸症状として一括してしまっていますが、実は一つ一つにさまざまな形で死者の訴えの「意味」や「理由」がかくされていることに注目しなければなりません。
 しかし、それにしても死者はどうして肉体にこだわり他人の肉体を借り、その肉体機能を作動させて自己表現をしようとするのでしょうか。
 それは、死者が自分の死をまだ自覚していないことに原因があります。自分が既に死んでしまっていることに全く気が付いていません。このことが本書の最重要のテーマであり、精神病の本体に迫る鍵でもあります。
 自分という人間は、大自然の中の生物の摂理のままに作られた肉体と、もう一つ、不可視であり計量もできないまことに不思議な力をそなえた魂とが合一したものであると、自分で充分に承知しているならば、片方の肉体が草木や諸動物と同様に消滅した時に、魂の方だけが残って自分というものの意識作用を働き続けていても少しも驚きません。
 ところが、生前に、魂の精神作用を脳という肉体器官の一部による作動と、物質的視野でのみ考えていたとするとどうでしょう。つまり、肉体の死は魂も含めた一切の消滅であると考えていたならば、死んだのち、なおも作動している自分の意識を知ってびっくりします。そして、こうしてものを思う自分がある以上、まだ死んではいないのだと錯覚してしまうのです。まだ肉体も生きているままであるようなつもりになってしまうのです。
 死んでしまったはずがない、何故ならこうして少しも変わることなく、いろいろなことを思って口惜しがったり腹を立てたりすることができているではないか、そうなのだ、自分は死んでなどいないのだ――と、大きな過誤・錯覚の中で意識だけがぐるぐると堂々巡りを始めます。
 もし、生前から魂なるものに気付いて暮らしていた人間は、こうした場合もたいした迷いもなく現状を正しく把握できますのであわてません。そして、本来このように魂・意識体だけに戻った際に帰って行くべき所、すなわち大宇宙の法則のままに宇宙のどこかに組みこまれているポジションへ、定められたルート通りに迷わず帰って行きます。
 大宇宙の法則そのものが御佛(かみ)ですので、昇天といったり成佛といったり宗教によって呼び方は変わりますが、かつてこの世に誕生して肉体と合体する以前に、一つの意識体として生きていた場所に安らかにそして一直線に戻って行けるのです。
 ところが、目に見える実存の肉体だけが人間であると思って、知識に自惚(うぬぼ)れ欲望のおもむくところこそが正義と勘違いして暮らして来てしまった人間は、前述のようにいつまでも自分の死を正しく自覚できません。死後数十年を経過してもまだ数分間しかたっていないような感覚で、繰り返し繰り返し自分の生死を不安げに確かめ続ける仕儀と相成ります。
 これがいわゆる迷っているという状態なのです。
 まだこの世に生きている気でいますので、生前と全く同じ性格のままでいる場合がほとんどです。頑固者は頑固なままです。自分の性格に変化がないため、肉体も生前と何一つ変わっていないような気がして、怒ったり嘆いたり悲しんだり妬んだり、自分自身もこうしたいやな想いに苛(さいな)まれながら地上を彷徨します。
 ところが、頼りとする肉体が実際にはもうありませんので、何一つ思いのままに進行させることはできないし、解決もしません。イライラした想いだけがどんどん増幅して行くばかりですから、まさに地獄の苦しみです。安らかで平穏な境地(極楽)は絶対に訪れて来ません。終わることのない真っ暗な苦しみの中に永久にさまようばかりです。まことに哀れというほかはありません。
 死の直前まで肉体をむしばんでいた病気に死後もまだ苦しんでいた事例を第二章でも紹介しましたが、特に癌とリュウマチの痛みは激しいからなのでしょうか、死んでもなおその病気によって苦しめられていると思いこんでいます。また、精神病の挙句に亡くなった人は、死後もなお自分は精神病のままだと思いこんでいるわけです。その意識のまま地上を彷徨しています。
 そのような意識体に接近されたり憑依されたりしますと、標的となった人は足腰が痛くなったり、または精神病特有の奇言奇行を頻発して家族を悲しませることになるのです。
 更にまた、自殺・事故死は死の自覚に最も欠け易い死に方で、まず百パーセント自らの死に気付いておりません。突然の自分の死についてしきりに不思議かっていて、納得できないまま最悪の状態でさまよっています。納得できないために、縁ある人間の肉体を借り、自分の死の状況を再現してみて、今の自分の状況を確認しようとします。そのために肉体を借りられてしまった人間は、死者が行なう実験の材料となって死に向かって一直線の行動を始めてしまうのです。まことにおそろしいことと言わねばなりません。
 
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