精神病は病気ではない
精神科医が見放した患者が完治している驚異の記録
萩原玄明・著 ハート出版 
第8章 供養で供養の心を知る
1、供養で自分の「死後」を学ぶ

 今こそ間違いだらけの供養を改める時

 供養の心について更にお話を続けます。ここまでお読みになったなら、精神病が治る方法がどこかに簡単に書いてあるのではと急いで頁を繰る本ではないことを、もう充分にご理解いただいていると思います。
 しかし、私の気持の中では、今、ご家族の精神病で苦しんでおられるあなたを、少しでも早くお救いしたい、病者を一日でも早くもとの身体に戻してさしあげたい、それこそ地獄のような日々からお助けしたい――と、じっとしていられないほどに急いでいるのです。ドラマを見ても、泣いてしまう私ですから、目の前に苦しんでいらっしゃる人を見ると、急いでなんとかしなくては、と人一倍あせる性格でもあります。従って今決してのんびりとお説教を書いているわけではありません。
 長年患っていた腰が、忘れていた姑のご供養をしてよくお詫びをしたら、いっペんに治ったというような事例は、それこそ枚挙にいとまがないほどです。これは、心得違いを御佛(かみ)がお諭しになるために、無知な暮らしを続けている人に「不思議」なことを見せて下さったもので、きわめて初歩的な供養への入口です。
 しかし、精神病は違います。俗な表現で申しますならば、根が深いのです。
 はっきり言って、今現在の当主の無反省だけではなく、先祖からの長い家系(言うまでもなく父の父の父といった一本線だけのものではなく、母方・祖母方、更に有縁のすべての家系)の中で、人間死んでしまったら何も無いのだからどうでもいいという考えが続き過ぎたためと言わざるをえません。
 世間並みに墓参り程度のことはして来たでしょうが、第五章で警告しましたように、昔からの間違いだらけの形式を鵜呑みにしたものばかりだったのです。そして代々にわたって物欲充足のための金銭取得を目的として精励することこそが人生最大最高という価値観で来てしまっています。それなるが故に、今、最も強い形で教えられているのです。
 いや、教えてくれなくても結構だ、自分で正しいと思っている自分の道を行く――と、あまのじゃくを言っていられる状態ではなくなってしまっていることを素直に認めなくてはなりません。過去の生き方は明らかに敗北したのです。率直に反省する時なのです。
 人間の知恵の範囲の、たいしたこともない理屈で抵抗するよりも、全身全霊を御佛(かみ)の前に投げ出して、御佛(かみ)にも縁ある先亡の方々にも、今までの自分のすべてをお詫びすることです。
 この切りかえがつかぬ限り、今当面している苦難に解決の目途はつきません。つまり治りません。
 私はだから駄目だと言いたいのではなく、なんとしても早く解決の喜びを体験していただきたいために、いろいろ強い表現をしているだけです。どうぞ、供養する心というものを、この本を繰り返しお読みになって把握して下さいますように。私の願いです。
 
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