を鍛える本
人生に勇気、心に力がみなぎる
櫻木健古・著 三笠書房 
第1章 人生を逆転する鍵

 成功は苦しみのあとにある

  重くともわが荷は人にゆずるまじ
     になうにつれて荷は軽くなる


「苦しいから逃げるのではない。逃げるから苦しくなるのだ」と言ったのは、アメリカの心学者のウィリアム・ジェイムズでしたか。傾聴に値する、鋭い分析だと思います。
 つぎは、現代のある青年の話です。
 ひとりっ子で、だいじにされすぎて育ったせいか、内向的で、人づきあいがじょうずでない。大学を出て銀行に入ったら、外交に配属された。いきなり、ニガ手の仕事を課せられたわけです。
 もともと得手でないうえに、イヤだ、イヤだと思いながらやるから、仕事がおもしろいわけはなく、うまくやれる道理もない。苦しみや劣等感についに耐えかねて、上司にたのみ、内勤にかえてもらいました。
 内勤となれば、接する相手の数ははなはだ少ない。上役と同僚ぐらいのものである。しかし、数は少なくとも、やはりそこも人間関係の場です。また、数が少ないかわり、その人間関係は職務上の絶対のものであり、かつ、毎日顔を合わせるつきあいです。だから、ここでもうまくゆくはずがない。日がたつにつれ、苦しみが増し、また耐えられないまでになりました。
 外でダメ、内でもダメ。もう銀行に安楽な場所はない。ついに辞職し、自動車学校にかよって免許をとり、トラックの運転手になりました。
 こういう仕事をえらんだ理由は、人間関係が極度に少なくてすむからということ。ほとんど、機械と荷物だけが相手の仕事である。ひとりぼっちでできるその気楽さゆえだったのですが、ある日、衝突事故をおこしてしまった。車を介して、もっとも不愉快な人間関係にまきこまれてしまったわけでした。
 これでまた自信を失い、自己嫌悪にも陥って、ふたたび辞職した。もはや、どんな仕事にも自信のあろうはずがない。絶望的になって、私のところへ相談に来たのでした。「死にたい」といって涙まで流したりして。
 この青年の根本の過ちは、銀行の外交という初めのポストから逃げたことにあります。「苦しいから逃げる」ことをする弱虫は――じつは「逃げるから苦しい」のであるから――何度もそれをくりかえす。やがて、人生に生きる場所がなくなってしまう。自分で自分を追いつめるのです。
 かれはその最初のニガ手のポストを、歯をくいしばって、何がナンでもやりぬくべきだった。やりぬいたら自信ができる。この自信は、かれの生涯を支配したことでしょう。逃げる、逃げないの一事の差が、長い一生のうちに、極端と極端ぐらいにまで拡大されてくるのです。
「重くとも……」――重いからといって荷を放りだすと、さらに重い荷を背負わされる。我がままに対する天罰ということでしょうか。重い荷を軽くする方法は、それをにないつづけることしかない。馴れることによって、軽くなってくるのです。人生を支配する、ひとつの鉄則でありましょう。
 職場を転々と変える若者がいます。いろいろな経験をつみ、ひろく社会を眺め、自分を肥やしてゆくために、という、プラスの姿勢でなされるのなら、それもけっこうなことかもしれない。しかし、苦しいから、つまらないから、飽きたから、というような動機からなされるのであったら、それはまさに野良犬のような放浪であって、みすぼらしき青春というほかはありません。青年期は生涯の土台となるべき時期であるゆえに、これでは先が思いやられるというものです。

  成功の二字がほしくば授けやる
    身心錬磨の苦行してこい


 苦行といっても、なにも人為的な、特殊なことをやる必要はない。いまあたえられている重い荷を、捨てないでにないつづけること。これこそがもっとも普遍的な、かつ基礎的な苦行でしょう。
 “成功”とは、他人との比較ではなくて、自分が先天的にもっている潜在能力を出しきること。私はそのように解釈しています。
 
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