を鍛える本
人生に勇気、心に力がみなぎる
櫻木健古・著 三笠書房 
第1章 人生を逆転する鍵

 何が自分を生かしているか

  一代の守り本尊たずぬれば
     朝夕食べる飯と汁なり

         (大田蜀山人)


 短歌と同じ「5・7・5・7・7」の調べをとりながら、短歌とはまた別の“狂歌”という分野があります。俳句にたいする川柳に相当するもので、いわば“ユーモア短歌”です。現代では、短くて歯切れのいい川柳をつくる人が多く、狂歌はほとんど見捨てられている形ですが、徳川泰平の世ではこれが盛んにつくられ、幾多のすぐれた狂歌師を輩出しました。
 ユーモア短歌とはいっても、たんにコッケイでさえあればいいというのではなく、透徹した人生観照の眼力なくしては、味の深い、すぐれた狂歌は生まれません。そのおかしみは古典落語のそれと同じく、人間生活への深い愛と洞察とから生まれ出ます。そういう狂歌に、作者の意図とはかかわりなく、道歌的な教訓を汲みとることのできるものがあったとしても、ふしぎなことではないでしょう。たとえば、

  ほととぎす自由自在に聞く里は
     酒屋へ三里豆腐屋へ二里


 という有名な歌は、頭光(つもりのひかる=本名・岸宇右衛門)という狂歌師の作ですが、これから教訓をうけとることはできないではありません。「風流を自由にたのしめるところは、実生活には不便である。なにごとも、すべて条件がそろうというわけにはゆかぬものだ」とういことで、現代に当てはめてみれば、「公害のないところに住もうと思えば、通勤にも生活にも不便だ。思うようにはゆかぬワイ」というところでしょう。
 江戸後期にたくさんの狂歌師が輩出したなかで、一きわ高くそびえ立っているのが大田蜀山人(しょくさんじん=本名・直次郎)です。幕臣で江戸に住み、和漢の教養にひろく、40代ごろまで四方赤良の名で活躍、いったん沈黙したのち晩年に蜀山人の名で、まためざましい活動をした人です。

  いままでは人のことだと思ひしに
   おれが死ぬとはこいつたまらん


 という、洒脱な辞世をのこしています。
「一代の……」の歌もその秀作のひとつですが、これを道歌ふうに受けとることは、大いに可能です。「自分の一生を守ってくださるゴ本尊サマはどなたか? と思って探してみたら、な
んと毎日いただく食べものだった」というわけ。
 本尊とは本来、宗教上の用語です。信仰や祈祷の中心的な対象となるもので、多くは偶像化されて絶対視されます。蜀山人のこの歌は、そういうご利益宗教への痛烈な諷刺でもあったのでしょう。
 神とか仏とかいって、観念の世界に絶対者を求め、おまけにこれを偶像化してありがたがっているが、ほんとうにアリガタイもの、この自分を守り、生かしてくれているのは、毎日の食べものなんですヨ。どうです。眼がさめましたか?……
 そこまで言おうとしているかのようです。ユーモアのオブラートに包まれてはいるが、内容はなかなか重く、きびしいと思います。
 感謝の心はたしかに、日々の食物にまで及ぶのでなければ、本ものではありますまい。米や野菜や水こそが、この自分を生かし、守っているのである。これらこそが一生を通じてのゴ本尊サマなのだ。たしかにそのとおりです。「感謝のタネは探せば無限」という、その無限のはてに近いところ(意識からは遠く、体にはもっとも近い)に、日々の飲食物があります。
 不平屋は、こういう底辺的な授かりものには眼もくれないで、天のみ仰いで「星々(欲しい欲しい)……」という。人生が苦の場所になるのは、あたりまえでしょう。

  きょうもまた御飯に不足なきにつけ
    野良にはたらく人を敬え


 こういう敬農の心のうすれゆくことこそが、農耕民族たる日本人にとって、大いに憂うべきことなのです。「百姓することはイヤだ。しかし、農作物は食う」というのは、一種の自分勝手というもの。社会の現実としてやむをえないというなら、そういう「一代の守り本尊」をつくってくれる人たちを、せめて敬い、感謝するのでなくてはならない。そういうのが真に日本的な心であったはず。蜀山人のこの粋な歌を、よく味わってみたいものです。
 
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