を鍛える本
人生に勇気、心に力がみなぎる
櫻木健古・著 三笠書房 
第1章 人生を逆転する鍵

 逆境を生きる知恵

  ふまれても根強く生きる野辺の草
      恵みの露を受けし身なれば


 売春という行為はどの人間社会にも、社会主義の国にさえもあるもので、あるいは人間の業というものなのかもしれません。
 日本では昭和33年ごろまで公娼制度があり、政府公認のいわゆる赤線地帯で、男たちは公然と放蕩をすることができました。若手の新聞記者であった私も、安月給をはたいて、そういうところで大いに遊んだ時期がありました。当時は、ワルイことをしているという意識はなかったのですが、いま思えば、これも埃であったのでしょう。
 東京は新宿のある遊女のもとにかよっているうち、彼女はたんなる娼婦として以上の感情をこちらに寄せるようになり、家庭の事情をうちあけたり、人生相談に類することを話しかけたりするようになりました。そんなある日、手帳をゴソゴソと開き、「私の好きな歌」といって見せてくれたのが、この歌だったのです。
 彼女の職業(?)が職業であるだけに、「ふまれても」の一句が、痛いほど心に響きます。たくさんの遊蕩児たちにふまれながら、そういう境遇への不平や嘆きは後まわしにして、「恵みの露」を受けでいる身であることを自覚する。そして、雑草のように根強く生きようとする。「この歌を心のささえにしているの」と語るのを聞いて、体がジーンとするのを覚えたことでした。
 当時、精神的な逆境を自覚していた私は、はたちそこそこの遊女がこんな心がまえで生きていることに心うたれ、すぐにその歌を自分の手帳に書きうつして、自分をも励ますものにしようとしました。その手帳はなくしてしまったけれど、歌そのものは忘れないで今日まできたのです。
 いま見ても、いい歌だと思います。とくに下の句がいい。逆境にあっても感謝を忘れぬ。この歌のポイントは、ここにこそありましょう。
 ムジュンだらけのこの社会です。人間だれしも、だれかに、何かに「ふまれる」ことなくして、生きるわけにはゆきません。
 しかしまた人間だれしも、「恵みの露を受けし身」でもある。このとき、「ふまれる」ことを恨みとするか、「露」のほうに感謝するか? どちらに心をおくかによって、人生感情はまったくちがったものになるでしょう。「ふまれる」ことを恨みとしたら、この世に生きる場所はなくなってしまうはずです。
 “恩”というコトバが、日本語の辞書から姿を消してしまったような世相です。他人の恩、社会の恩、大自然の恩……。そしてエゴイズムばかりが、いよいよますますはびこってゆく。だが、これは好ましい現象ではありますまい。シトドに濡れるほどの「恵みの露」で生かされている自分。そこを忘れたら、個人も社会も、すさみの一途をたどるほかにないでしょう。

  五十年生かしおくさえつけあがり
      恩は思わず不足のみいう


 もし神が人語を発するとしたら、こんな歌を詠まれるのかもしれません。
 おまえはだれによって生かされているのだ? 自分ひとりの力で生きていると思うのか? この恩知らずの高慢野郎メ。身のほどを知って、つけあがるのはほどほどにせい。――
 そんなふうに叱りたもうているみたいです。言われてみればたしかに、自分も「つけあがっている」一人であることを感じます。「オレが、オレが……」という我があるうちは、たしかに人間、神にたいしてつけあがっているのです。
「人生五十年」といわれた時代の作ですから、現代なら、「七十年生かしおくさえ……」というべきかもしれません。

  かくれ沼の藻に住む魚も天(あま)つたう
    日の御影にはもれじとぞ思う


 江戸時代に詠まれたらしい作者不明の短歌ですが、道歌ふうの内容を色こく持っています。――森の繁みのなかのかくれ沼。しかもその水藻のなかに住む魚であるから、日光の直射をうけることはまずない。しかし、そういう魚たちでさえ、じつは太陽の恵みによって生きているのだ。――
 地球自体がそうであるし、そのうえの宇宙万物、動植物のすべてが、太陽あってこそ、生きることができるのである。海底の水草でさえ、雨が多くて冷気の年には、繁茂しないといいます。要するに太陽が万物を生かしめているので、その恩恵からもれるものは、地のうえにはひとつとしてない。人間も同じことで、どんな境遇にある人でも例外なく、太陽を始めとして、万人、万物の恩によって生かされているのである。その「日の御影」のありがたさを忘れないなら、逆境を切りぬける力も、自然に湧きでてこようというものです。
 国家、社会の恩もまた、万人が例外なく受けているものです。それのありかたを批判することは自由だが、そこから受けている「恵みの露」のありがたさを忘れては、人でなしということになりかねません。
 昭和62年に死去した、歌手兼俳優の鶴田浩二。58年ごろだったと思いますが、あるテレビの30分番組で、寺島純子さんを聞き手として、考えるところをいろいろと語ったことがあります。その中で、「戦前と戦後の日本人。いちばん違うところはどこか? ひとつだけあげるとしたら?」との問いに答えて、
「ひとつだけ、というなら、かつての日本人は感謝の心をもっていたが、今はそれがなくなってしまった、ということでしょうか」
 どの道であれ、一流になる人は眼のつけどころが違うんだな、と感服したことでした。
 
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