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第3章 自分を生かす道を求めよ | ||
“人のため”は“わがため” 人のためつくす心がそのままに わが身を守る力なりけり 人は社会的な生きものであって、ヒトリポッチで生きている人は一人もいない。“人間”といみじくもいうように、人の間で生きているのが、私たち人間です。だから、「人の道」とは、せんじつめれば、人間関係の道ということにほかなりません。他人や社会なくして、わが道はありえないわけです。 その人同士は世において、争うことも多いけれども全体的にみれば、助けあうことのほうがはるかに多い。助けあい支えあって生きることこそが、人の世の本質といってよいでしょう。 おたがいに持ちつもたれつ立つ身なり 人という字を見ればわかるぞ 人という字は、活字と筆記体とではすこしちがいますが、要するに二人の人がもたれあい、支えあう姿を象形化しています。この二人を離したら、二人ともバッタリ倒れるほかはない。人の本質を人という文字から悟れ。そう、この歌は言っているわけです。 客観的にみて助けあっている人の本質。主観的なわが意志の問題としてみたばあいには、どうなるか? むろん、人を助けることのみを――すくなくとも、それを第一義に――考えるべきである。人みながそうあってはじめて、助けあう姿は現出するのですから。 おもしろいことに(当然のことなのだが)、人につくすことばかり考えて生きると、自分も多くの人によって助けられ、生かされる。逆に、自己中心のエゴに徹すると、人の助けはなくなり、経済的に窮することにもなりかねません。 なまけもの欲は一倍人まさり という句がありますが、こういう人はお金があればともかく、それが乏しくなったりすると、 世のなかが二尺五寸となりにけり 五尺のわが身おきどころなし ということになるかもしれません。 ある大学教授。単行本を何冊か出しているが、そのどれもが、ベストセラーを書きたいというかれの思惑にそむいて、売れゆきがよくない。それをかれはボヤくのですが、売れない理由は、私にはよくわかるのです。 生活のうえで、何十万円か、何百万円か、まとまったお金がほしくなる。すると、「本でも書いて稼ごうか」ということになる。動機が自分の収入欲にあって、これにチョッピリ、名誉心も加わる。発想がすべて自己中心です。本の売れる道理はない。出版社が引きうけてくれることが、むしろフシギです。ベストセラーなんてものは、結果にすぎないのであって、狙うべき性質のものではない。そこがこの人にはわからないのです。 この自分、非力ではあるが、すこしでも人のお役に立てるものを書けたら……と、一心不乱、その気持だけに徹する。その結果、もしいい本ができたら、多くの人が買ってくれるでしょう。誠実へのお返しがくるわけで、そのとき、収入も多く入ることになる。人につくすことを第一義としたから、結果的に、人も我を助けてくれることになるのです。収入を第一義の目当てに書くのは、読者を、ひろく世をバカにした行為であって、これで本が売れるとしたら、それこそ「世のなか、狂ってる」ということでしょう。 狂っているようでも、奥底までは狂っていない。これが人の世のありがたさです。また、そうでなければ人間社会というものは、成りたってゆけません。企業にしても、長い眼でみれば、人に、世につくす心に徹することが、栄える秘訣なのではないか? 紫雲荘・橋本徹馬氏の、「繁栄したかったら人の繁栄のためにつくせ」という言葉を、私は真理だと思うものです。 たちよりて人のためにと折りしかど まずわが袖に匂う梅が香 ある人への土産にしてよろこばせてやろうと、梅の一枝を折った。すると、目当ての人よりも自分が先に、梅のよい香りをかいだという。人のためにする行為にはつねに、こういうよろこび、こういう報いがつきまとうということ、俗にいう、「情は人のためならず」ということです。 |
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