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第2章 社会の仕組みと制度 | ||
近代化を急いだ日本への評価―― 称賛の反面、痛烈な批判も 人類史以上最も目覚ましい発展! 明治政府が成立した当初、日本は西洋から百年単位の遅れをとっていたといわれる。そこで政府は、西洋に追いつき追い越せとばかりに、急ピッチで西洋の産業技術や社会制度を取り入れていくことにした。 当時の日本人は近代化=西洋化を目指して、脇目もふらずに働いた。そんなようすに、西洋の先進国は目を見張った。世界最古の日刊新聞として知られるイギリスの高級紙「ザ・タイムズ」は、日本の進化の凄まじさを次のように記している。 「日本の発展は、近年のみならず人類の歴史のなかでももつともめざましいものの一つである。(略)日本人は自国の高度な文明をもつことに非常に熱心である」(1873年8月28日付)。さらに同紙は、「日本人が西洋の習慣や科学を摂取・同化していくスピードは、当代のもっとも大きな脅威の一つである。そして、いま極東(日本)で起こりつつある変化は、たんなる外国の模倣ではなく、国内における変化によるものである」とも述べ、西洋文明の導入によって変わりゆく日本の姿に驚嘆している(1876年5月30日付)。 西洋化を急ぐ日本人への冷静な観察眼 その一方で、指導者として政府に雇用された「お雇い外国人」たちは、近代化を急ぐあまり浮き足立った日本のようすを見逃さなかった。 1873(明治6)年に来日し、東京帝国大学などで教鞭をとったバジル・ホール・チェンバレン(イギリス/日本学者)は、「日本人はヨーロッパが15世紀も20世紀もかけて成し遂げたものを、30年から40年で成し遂げたと自慢する」「西洋人は競争に遅れたと、われわれを嘲る者もいる」と苦々しい思いを記す(『日本事物誌』)。加えて、ベルリンから帰国した日本人の学者が、「哲学を学ぶためにドイツへ行くのは時間の浪費だ。東京でもつと立派な哲学は教えられている」と語ったエピソードも伝えている(同書)。 「津波」という言葉を西洋にはじめて伝えたことで知られるエリザ・ルーモア・シドモア(アメリカ/女流作家・記者)も、「伝統ある貴重な遺産を捨て去り、特徴のない金太郎飴を量産する前代未聞の努力をして、西洋諸国から賞賛、同情、気前のよい援助を得ようとした外国追従の惨めな姿勢は、かえって西側世界の反発に遭いました」と批判の目を向けている(『シドモア日本紀行』)。 北海道の開拓に貢献したエドウィン・ダン(アメリカ/畜産技術者)も、伝統を捨てて西洋化を目指す日本の姿勢を否定した。彼は日本の伝統や社会を深く愛しており、「日本人は日本人として前進しなくてはならぬ」と憂いた。日本人が古い拘束や習慣から解放されるのはよしとしても、それまでの美徳さえ時代遅れと排斥するのは「愚の骨頂」と考えたのである(『日本における半世紀の回想』)。 近代化を急ぐ日本の姿を滑稽だと評した外国人も少なくなかった。代表的なのが画家のジョルジュ・ビゴー(フランス/画家)である。 ビゴーは、西洋化を急ぐ日本人がばかばかしく見えたようで、欧米の文明と摩擦を起こす日本人の姿を大げさかつ辛辣に描いた。それらは雑誌「トバエ」や『クロッキー・ジャポネ』などの画集に見られる。そして、そのことが日本人に知れ渡ると、不届きなフランス人と名指しで批判され、ジャーナリズムから閉め出されてしまった。 またイギリスの記者として来日したチャールズ・ワーグマン(イギリス/ジャーナリスト・漫画家)は、「牛肉を食べてビールを飲めば一人前になれると思っている馬鹿な鳥」としてオウムを描き、その背中に「Young Japan」と記した(『ワーグマン日本素描集』)。オウムはものまねを得意とする鳥。いくら西洋化を進めたとしても、無批判に受け入れるだけでは、たんなるものまねで終わってしまうという痛烈な皮肉を込めた作品である。近代化を急ぐあまり、本来の自分を見失っている日本人を、外国人たちは冷静に観察していたようだ。 |
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