[幕末明治]
日本は外国人に
どう見られていたか

来日外国人による「ニッポン仰天観察記」
「ニッポン再発見」倶楽部 三笠書房 
第3章 不思議な日常生活

 畳の生活−靴を脱ぎ正座!
 西洋と決定的に違う生活習慣の反応は


 なぜ、玄関で靴を脱ぐのか?

 現代の日本人の生活はかなり西洋化しているが、玄関で靴を脱ぐという作法はいまだに変わっていない。
 自宅に帰ったとしても、靴を履いたままではリラックスできないし、「土足で踏み込む」という言葉があるように、他人の家に履物を履いたまま上がるなど、とても考えられない。
 しかし、幕末明治期に日本を訪れた西洋人は、この作法を理解するのに苦しんだ。西洋で靴を脱ぐのは、寝室などのごくプライベートな場だけに限られるが、日本では城中で将軍や大名に拝謁する際はもちろん、庶民の粗末な家に立ち寄るときでさえも、同じように靴を脱がねばならない。戸惑いを覚えるのも当然だった。
 それでも彼らはしだいに日本の生活に適応し、戸口で靴を脱ぐ作法が習慣化するようになる。日本の生活は、食べる・眠る・坐るなど、ほとんどが畳の上で行なわれるため、靴を履いたままだと畳を汚してしまう。そのことを理解したのだ。
 エドゥアルド・スエンソン(デンマーク/軍人)は、「日本の家屋の床には一面に厚さが1インチほどの竹の皮のマットが敷いてあり、その清潔さ、その白さは壁や窓に劣らない」と記している(『江戸幕末滞在記』)。
 藺草(いぐさ)で編んだ畳が、竹の皮のマットに見えたのだろう。
 またエリザ・ルーモア・シドモア(アメリカ/女流作家・記者)は、茶道を体験した際、
「厳しい作法に従い、まず靴を脱ぎました。というのは、そのままだと磨き上げられた木製の廊下や部屋の柔らかく美しい畳に触れ、すぐにピアノの鍵盤に釘を打ったような靴跡が残るからです」
 と述べており(『シドモア日本紀行』)、日本独自の作法に理解が及んだことがわかる。
 しかしシドモアも、正座を続けるには、「不慣れで抵抗する筋肉や腱の許すかぎり」と、限界を感じていたようだ。

 摩訶不思議な姿勢「正座」に悶絶

 縄文時代の遺跡・大森貝塚を発見したことで知られるお雇い外国人のエドワード・S・モース(アメリカ/動物学者)もまた、正座するのは一苦労だったようだ。「長靴や短靴の硬い踵だと、畳面に深い跡型をつけるばかりでなく、突き破ったりすることがある」と、靴を脱ぐ習慣を理解し受け入れつつも、正座については「外国人にとっては相当に苦痛で、慣れるためにはただ練習する以外にない」と音を上げているのである(『日本人の住まい』)。
 さらにモースは、正座とはどんな姿勢かについて、縷々(るる)描写している。
「畳の上で休憩する場合、日本人は膝を折り曲げた姿勢を取る。つまり、双方の脚部を折り曲げて体の下に納める。臀部は両こむらと両きびすの内側の上にのっかるようになる。足指は内側へ向いた形になるが、これは、内側へ仕舞い込んだほうの足の甲の上部が、直接に畳面に当たるようにするためである」(同書)
 正座は、欧米人にとって理解しがたい不可思議な姿勢だった。だからこそ、モースは、正座について事細かに描写することで、異国の変わった生活習慣を海外に伝えようとしたのだろう。はたして、うまく伝わったかどうか……。
 とはいえ、日本人も彼らの悶絶ぶりを笑うことはできない。モースは同書で、
「日本人でさえ数年も外国暮らしをやると、端座(正座)する生活に戻ることがことのほかむずかしくなり、かなり苦痛のようである」
 と記している。
 これは、まさに現代の日本人の姿。西洋化した生活を長く続けた結果、多くの日本人は正座が苦手で、恐怖感すら抱くようになってしまったのである。
 
← [BACK]          [NEXT]→
 [TOP]