|
||
第4章 礼儀正しく実直な人々 | ||
実直で正直、金銭にキレイ…… この道徳心は「武士道」によるもの? 鍵はかけず、戸すらつけずに暮らす人々 外国人が称賛する日本人の国民性の一つに「実直さ」がある。日本で財布を紛失しても、そのまま届けられるというのが最たる例だ。 道徳をよく守り、正直に生きる――。それができるのが、日本人の特筆すべき国民性だといえる。 そうした日本人の特徴をわかりやすく説明しているのが、1877(明治10)年から2度にわたって日本を訪れたエドワード・S・モース(アメリカ/動物学者)だ。 モースは、「人々が正直である国にいることは実に気持ちがよい」と述べ、「私は決して札入れや懐中時計の見張りをしようとしない。錠をかけぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは一日に数十回出入りしても、触ってはならぬ物には決して手を触れぬ」と続ける(『日本その日その日』)。 さらに「私の外套をクリーニングするため持って行った召使は、間もなくポケットの一つに小銭若干がはいっていたのに気がついてそれを持って来た」と、使用人の正直さをほめている(同書)。 もう一つ、モースが日本人の正直さを実証する好例としてあげているのが、家の鍵の逸話だ。 「三千万人の国民の住家に錠も閂(かんぬき)も戸紐も――いや、錠をかけるべき戸すらもない(略)。昼間はすべる衝立(ついたて)が彼らの持つ唯一のドアであるが、しかもその構造たるや十歳の子供もこれを引きおろし、あるいはそれに穴を空け得るほど弱いのである」(同書) 「すべる衝立」とは引き戸のことだろうか。なるほど、いまでも地方などに行くと、玄関に鍵をかけずに24時問すごす家がある。防犯の面からすると心配だが、これは周囲の人々を信頼しているからできることだろう。 女性旅行家を驚かせた金銭への潔癖さ 明治時代の日本を旅行し、旅行記にまとめたイザベラ・バード(イギリス/紀行作家)も、日本人の金銭にまつわる潔癖さについて言及している。 バードは、母国イギリスやヨーロッパ諸国を女一人で旅したとき、ひどく無礼で屈辱的な仕打ちにあった。金をゆすり取られたりしたこともあったようだ。 しかし日本では、「一度も失礼な目に遭ったこともなければ、真に過当な料金を取られた例もない」と書いている(『日本奥地紀行』)。 さらにバードは、彼女の旅を助けた馬子(馬をひいて人や荷物を運ぶ人)の仕事に取り組む姿勢にも感心している。 「革帯が一つ紛失していた。もう暗くなっていたが、その馬子はそれを探しに一里も戻った。彼にその骨折り賃として何銭かをあげようとしたが、彼は、旅の終わりまで無事届けるのが当然の責任だと言って、どうしてもお金を受け取らなかった」(同書) 雇い主であるバードの前でだけよい態度をとっているのではと勘ぐりたくもなるが、決してそうではなかった。 彼女は、「彼らはお互いに親切であり、礼儀正しい。それは見ていてもたいへん気持ちがよい」と述べている(同書)。 賄賂は人間の尊厳を貶めるもの 親日家の世界的考古学者ハインリッヒ・シュリーマン(ドイツ/考古学者)は、港の税関を通るときに日本人の潔癖さを実感した。 良い船旅を経て日本の港に着いたシュリーマンは、税関に赴く。そして、大型の旅行鞄を開けて税関吏に見せるのは骨が折れるという理由で、日本の二人の税関吏に一分ずつのカネを差し出した。これで通してくれというわけだ。しかし、彼らはカネでは動かなかった。 「驚いたことに彼らは、胸に手をあてながら『日本男子(男児)』と言って、その金銭の受け取りを拒否した」(『日本中国旅行記』) そのためシュリーマンは、自分で旅行鞄を開けてチェックを受けることになったが、そこで彼は日本人のスマートさにふれることになる。 「彼らは(略)上辺だけの検閲で満足した。そのうえ、非常に好意的な親切きわまりない言葉で応対した。そして再び、わたしに深い敬意を表しながら『さようなら』と言った」(同書) つまり二人の税関吏は、金銭を受け取らずとも、便宜をはかってくれたのである。この経験から、シュリーマンは、「心付けによって義務を怠るということは、日本人にとっては人間としての尊厳を貶めるものとしてみなされていることを意味しているのだろう」と理解したという。 江戸時代の日本は、刑罰が非常に厳しかった。明治初期の日本人にはその記憶が残っていたために、決して盗みをしなかったり、賄賂を拒否したものとも考えられる。しかし、それだけではないだろう。 日本人が古くからもち続けてきた道徳心、武士道の「誠」の心。そういったものがあったからこそ、日本人の実直さ、潔癖さが形成されたと考えられるのである。 |
||
← [BACK] [NEXT]→ | ||
[TOP] | ||