[幕末明治]
日本は外国人に
どう見られていたか

来日外国人による「ニッポン仰天観察記」
「ニッポン再発見」倶楽部 三笠書房 
第4章 礼儀正しく実直な人々

 質素倹約は』種の美学!
 「貧しくとも貧困ではない」暮らし


 「非常に高貴な人々の館ですら簡素で単純」

 時代劇を見ていると、将軍の部屋にさえ、ろくに家具がないことに気づく。一方、ヨーロッパの宮殿を見ると、立派な家具が並んでいて、じつに豪華だ。
 西洋人もこの違いには驚いた。幕末明治期に来日した西洋人のなかには、城中に招待された者も少なくないが、彼らが一様に口をそろえて指摘するのが「質素さ」だ。
 幕末にハリスの通訳官として下田に渡来したヘンリー・ヒュースケン(オランダ/通訳)は、「日本の宮廷は、確かに人目を惹くほどの豪奢さはない。廷臣は大勢いたが、ダイヤモンドが光ってみえるようなことは一度もなかった」と述べている(『ヒュースケン日本日記』)。
 オランダ海軍軍人ヴィレム・ホイセン・ファン・カッテンディーケ(オランダ/軍人)もまた、「非常に高貴な人々の館ですら、簡素、単純きわまるものである。すなわち、大広間にも備え付けの椅子、机、書棚などの備品が一つもない」と驚きを隠さない(『長崎海軍伝習所の日々』)。
 たしかに江戸時代の日本には、ベルサイユ宮殿やシェーンブルン宮殿のような贅沢な宮殿や城はどこを探してもなかった。それは、日本の武士道が損得勘定で物事を考えず、金銭そのものを忌み嫌い、むしろ足りないことに誇りを感じていたからだと考えられている。幕府や藩の財政が困窮していたからというのも理山の一つとされるが、質素倹約は、武士にとっての訓練でもあり、美学の一つでもあったのだ。

 貧しい人々も清潔に暮らす

 とはいえ、江戸時代の庶民が井常に貧しかったことは間違いない。武士道など関係なく、貧乏で家具の一つも買えないという人が多かった。しかし西洋人には、貧乏にあえぐ人々すら、好印象を以て受け入れられたようだ。
 チェンバレンは、「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」と書いている(『日本事物誌』)。モースも「貧民区域ではあっても、キリスト教圏のすべての大都市にみられる同類の貧民区域の、あの言いようのない不潔さと比較するならば、まだしも清浄な方である」と感想を述べる(『日本人の住まい』)。
 つまり日本は、たとえ貧しい人々が暮らす地域であっても、西洋に比べると清潔だというのだ。
 江戸時代の生活を見れば、日常生活に必要な家財道具はごくわずかだということわかる。
 当時の日本人はきわめて洗練された方法で、「貧しくとも貧困ではない生活」をおくっていたということが、外国人の言葉から見えてくるのである。
 
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