生命思考 
ニューサイエンスと東洋思想の融合 
石川光男・著 TBSブリタニカ 1986年刊
 

 科学は個性を無視している

 科学が、共通している部分だけに目を向けるのは、物理の発想から来ている。酸素原子を考える場合、何万個、何十万個あっても原子は全部同じとして統計的に処理する。もしかしたら原子も一個ずつちがっているかもしれないが、原子の集団を扱うときには手さぐりでしかできないから、全部同じとして処理する。この方法が物理では有効、ということになっているのだ。
 生物の世界でいえば、アリをマクロ的に集団と捉えれば。何万匹いても同じように見えるが、ミクロ的に一匹ずつ見ていけばそれぞれは異なっているはずである。ところが物理の手法が生命体にも使われているために個々のちがいに注目しないことをむしろ常識としている。
 現在、健康を維持、増進させるための方法がおまじないのようなものから医学的なものまで数えきれないほどある。これも、どの健康法が効果的かは人によってさまざまだ。一つの方法がすべての人に全く同じように効くということはあり得ない。これは人間の個性を考えれば当然のことだ。ジョギングがいい人もいれば。ヨガがいいという人だっているのである。
 アメリカのアリゾナ医科大学の社会医学部の講師で開業医でもあるアンドルー・ワイルは、その著書『人はなぜ治るのか』の中で、民間医療(ホメオパシー医学)であれ正統派医学(アロパシー医学)であれ、どんな治療法でも絶対に効く治療もないし、絶対に効かない治療もない、と言いきっている。
 生命体が個性を持っているのだから、平均値から導かれた治療法に絶対がないのはしごく当たり前だろう。だからワイルのような考え方(私もその一人)は、現在の科学のあり方と180度ちがうが、有機システムの立場からみればなかなか説得力を持っている。
 医者を例にとれば、個性を持っているのは患者だけでなく医者も個性がある。両者の組み合わせによって治療効果は異なる。生命体はそれほど微妙にできていることを忘れてはならない。
 
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