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石垣には個性と協調性がある しかし個性だけを強調していたのではバラバラになってしまう。城の石垣を思い浮かべてもらいたい。天然にある石を使って見事な建造物に仕立て上げられている石垣には、一つとして同じ大きさ。同じ形の石はない。しかもセメントも使わず、スキ間だらけなのに丈夫で崩れない。本丸や一の丸が焼け落ちても石垣は百年、二百年の年月にもびくともしないのである。 石垣に対応する西洋の建造物はレンガ造りであろう。同じ形、同じ大きさのレンガを使ってスキ間もなく理詰めで造られている。頑丈そうに見えるが、レンガを使ったブロック造りの建物が脆いことはよく知られている。 石垣は東洋の発想である。異なった個性を一つにまとめ、強固な全体を形づくる考え方が石垣を生んだのである。ヨーロッパの合理主義と東洋の自然主義のちがいは石垣とレンガ造りに象徴的に出ているように思う。バラバラに見える石が石垣になるとまるで意志を持っているかのように一個ずつが別々の役割を持って全体のバランスを保っている。石垣が美しいのは個性と全体のつくり出すハーモニーによるのだ。 生命体についても全く同じことがいえる。細胞にしても一つとして同じものはなく、それぞれが役割を担っている。たとえば赤血球はヘモグロビンをつくる役割を与えられ。筋肉細胞は弾力性のある筋力をつくる役割を持っている。異なった役割を持った細胞があるからこそ全体をうまくまとめているのである。 シンクロニゼーションのところでとりあげたように、バラバラの細胞のリズムが一つにまとまっているが、そこで面白い現象が見られる。リズムが一体化したときに全く動かない細胞があるのだ。A、B、Cの三つの細胞がBを真ん中にして一つになり、AとCは搏動をするが、Bは全然動かない。しかもAとCは同じリズムで動く。 つまりBという細胞はAとCに同じリズムで搏動するような情報を流して全体を乱さないような働きをしているのである。動かないという個性を持ちながら決して全体の調和を崩さない役割を持って存在している。この現象は細胞が何個あっても変わらない。 細胞の間の情報伝達について面白い実験がある。ネズミやヒトの二個の細胞を相接して並べ、一方の細胞に電気的信号を与えると、他方の細胞にも電気的変化が起こる。つまり細胞から細胞へのシグナルの伝達が行なわれる。ところが同じ実験を発生したばかりの細胞数のごく少ない時期のウニやカエルの胚で行なってみても、細胞間の信号の伝達がみられない。これらの細胞は、まだ全体が協調するような多細胞社会をつくっていないことになる。ところが、正常な細胞とガン細胞、またはガン細胞同士でも信号の伝達がみられない。 私たち人間はいうまでもなく多細胞の集団であり、個性を持ちつつ他者との協調性の中で生きるように仕組まれているのである。生命体の特性を一つの手がかりとして生きるということは、自分の個性を全体の枠組みのなかで生かしていくことを意味する。これは個人主義でも全体主義でもなく、協調主義と言っていいだろう。 |
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